なぜ「マシュー・エドウィン」

マシュー・エドウィン・インターナショナル、LLC。

設立した会社名は、私のフルネームから来ている。マシュー・エドウィン・カーペンター。私のファーストネームとミドルネームには意味が込められている。

両親ともにアジア研究家で、父、ブルース・カーペンターは、漢詩と美術史のエキスパート、母、ジュリエット・ウィンターズ・カーペンターは、国際的に認められている日本文学の翻訳者である。

二人の長男である私の名前を日米関係へ深く貢献した、マシュー・ペリーとエドウィン・ライシャワーの二人の男からとっている。理由は他にもあるが。

マシュー・ペリーは海軍将校。1853年、江戸へ艦隊を率い、徳川幕府が300年も続けていた鎖国政策をやめさせた。

ペリーの「黒船艦隊」は当時の日本人、特に若者に、欧米の植民地化の脅威にさらされている事実を明らかにした。中国はアヘン戦争に負け、植民地支配され、利用されていた。日本で若者を中心とした革命運動が起こり、1868年、明治維新で300年権力を握っていた徳川幕府が倒れることとなった。

エドウィン・ライシャワーは私と同じく日本生まれのアメリカ人。1910年、キリスト教宣教師の家庭に東京で生まれる。ハーバード大学の学者であり、東アジア研究を立ち上げ、アメリカでファースト・ジネレーションのアジアエキスパートを教育した。

ケネディ大統領はライシャワーを日本へ大使に任命して、1961年から1966年まで勤務する。ハーバード大学の日本研究学部は彼の名前に由来する。

すなわち、二人の巨人ともいうべき日米関係キープレイヤーから私の名前は付けられている。日米と国際関係に貢献することを心がけている私にとって、重みのある名前だ。

そのため、私の二つの名をを会社名に選んだ。全く異なる言語、習慣、歴史、そして思考から成り立っている日米間の文化のコミュニケーションに貢献できることを願っているためである。

マシュー・ペリーは孤立が長引いた日本を脅威溢れる国際社会へ目覚めさせて、日本と世界との門を開いたのだ。

ライシャワーは日本だけでなく、米国内でアジアに関する認識と対話に貢献した。日米関係も強まり、彼は命懸けだった。日本人に襲われ、怪我に由来する病気で命を落とすことになった。

日米間だけでなく、世界諸国は国際情勢の危機にさらされている。脅威は北朝鮮だけではない。グローバル化した世界では、地域の不安定さは世界的な波及効果を及ばす。シリア、ウクライナ、スーダン、ラテンアメリカ、そして他で起こることは、日本、アメリカ、日米関係、そして国際社会にも影響を及ぼす。

日本とアメリカの指導者はこれを十分理解している。オバマ大統領が、最後に核兵器放棄の広島を訪問したのには理由がある。安倍総理がトランプ大統領就任前、真珠湾を訪ねたことにも理由がある。また、トランプ大統領は、公ではアメリカの経済的孤立とナショナリズムを唱えているが、それにもかかわらず、日本との関係を重視していることにも理由がある。

私はこのプロセスへ貢献するため、ここにいる。微力ながら、マシュー・ペリーとエドウィン・ライシャワーの名に恥じぬよう働くつもりだ。