奈良での少年時代

「日本で少年時代を過ごしてどうだった」とよく聞かれる。しかし、簡単に答えられない。

奈良の幼少時代は夢と冒険でいっぱいだった。田んぼで遊び、竹藪で砦を作り、山々や川を探検、そして近所のお寺では、ミステリアスで、スピュリチアルな空気に触れた。

近隣の子供は私を避けるか、好んで一緒に遊んでくれるかの2つに分かれた。友達になってくれた子は私を嫌っている者が大勢いるのを知っていても、一緒に遊んでくれた。

日本の保育園では私は人気者だったが、小学校では逆だった。知り合いの国連外交官に、「マシュー、その経験を生き延びた今の君がいるんだよ」と言われたことがある。

私は絶えず外人扱いされた。友達の両親の多くは、私が彼らの家に入るのを拒んだ。外では指さされて、「ほら、外人だよ」などの嫌がらせを受け、精神的な脅威に絶えず晒された。

両親は、生駒市にある宣教師学校に私を入学させて、英語で基礎的なキリスト教の教育を受けさせた。当時の在日外国人家庭としては珍しく、両親は積極的に私を日系コミュニティーに参加させた。日本の教会に通い、習字や空手のクラスを取り、そして日本のポップカルチャーに浸って育った。

常に日本語で書物を読み、日本文学も頻繁に読んだ。

私の生涯における国際情勢の関心も日本の少年時代からの影響が大きい。三国志など、地政学、歴史的なテーマを主軸とするフィクションを好んで読んだ。アメリカ人は一般に、移民と孤立主義の過去の歴史のためか、他国に比べあまり世界に関心を持たず、国際社会の理解が欠けている傾向が強い。私の人間性は豊かな国際社会の歴史を持つ東アジアが生んだものと言える。

振り返ってみて、日本で少年時代を過ごして、良かったと思う。アメリカで育っていたら、確かにもっと楽だったであろう。しかし、楽な人生が素晴らしいとは限らない。