国際プロジェクトを成功させる。

 
 
 
元米国国家安全保障会議アジア部長ビクター・チャと商談

元米国国家安全保障会議アジア部長ビクター・チャ

日本と世界を繋ぐ国際プロジェクトは、言語・文化的価値観の違いが成功の妨げになることがあります。

マグマ・ファーイースト社は国際ビジネスの妨げとなる間文化・言語障壁を克服するだけではありません。国際パートナシップのプロジェクトを成功させるための凡ゆるサービスを提供しています。

翻訳、文章執筆・編集、リサーチ、逐次・同時通訳といったサービス以上に、日本と欧米の間を通って来たキャリアと人生を生かし、実生活の問題を解決します。

 
 
マシュー・カーペンターさんが、働いたおかげで社内のコミュニケーションを円滑にして、日本国内と米国とのスムーズな業務が進行できました。特に日本国内の日本語による連絡体制、日本文化の背景を理解した上で、米国のカルチュアをバックブランドにして、米国企業とのネゴシエーションなどを的確にこなしていました。日本とアメリカの様々なギャップを理解した上で、困難な契約でも締結にこぎつけて、難しい局面でも楽しい職場作りを心がけていました。
— 中山みきこ、 営業担当、 東洋ライス株式会社
 

 

サービス

  • リエゾン

  • 業務代理交渉

  • 調停

  • クライアント団体間プロジェクトの妨げになる問題を発見・解決

  • 新規市場参入相談

  • 日英翻訳と逐次・同時通訳

  • 日英文章執筆と編集

  • リサーチ

  • 日米の商慣習や文化の規範との違いの理解を必要とする問題の解決

  • 謝罪

国連安全保障理事会前。

 

 

職業紹介

 
 
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川名雄生選手に通訳

プロMMA選手

 

 

文化の狭間での人生とキャリア

 
 

私は奈良市で生まれ、23歳まで奈良県で生活しました。日本、特に関西は私が形成期を過ごした地域です。教育は日本、国際学校、そして米国の教育機関で受けました。

父は漢詩と美術史の専門家。母は日本文学の翻訳者。アジア・スペシャリストを親に持った私は、家ではアンティークや書物に囲まれ、外では田んぼ、山林、竹藪、そしてお寺や神社などで遊びながら幼少時代を過ごしました。

アメリカでは、多彩な団体で私の背景を生かした仕事を勤務しました。大学卒業すぐ入社したウェルズファーゴ銀行では、日本大手銀行からの重役への代表者に指名され、ニューヨークでは読売新聞国連担当などを勤務。当時の国連事務総長バン・ギムン氏から推薦状を頂いたのは、私の人生の名誉だと考えています。

SOSi社との契約を通して米国司法省と国土安全保障省のため同時通訳を過去に勤務。シラコム社では、私の逐次通訳はウォルト・ディスニー社から幾度か賞されました。

同志社大学法学部で聴講生として学生時代を過ごした後、ワシントン大学で法学、政治学、経済学の学士号を取得。8年後、ミドルベリー国際大学院で国際政策安全保障の修士号を取得しました。

出版物は、国際地政学や日本などについて、地政学リスク分析機関スタートフォアなどから記事を貢献しています。