文化的コミュニケーションのミス

日米関係の歴史で、両国間最も大きな文化的コミュニケーションのミスはなんだったんだろう?

おそらく米国は、日本に石油禁輸措置を発動する際に、真珠湾への報復攻撃を予知しなかったのだろうか。あるいは、米国が戦後日本経済復興が可能だと予期していなかったのかもしれない。

それは全て歴史上の話だ。ここで触れない論争が多くある(原子爆弾が実際に日本を無条件降伏に追い込んだかどうか...)だが今は伏せておこう。

コミュニケーションの問題点は幾つか考えられる。

 

謝罪

日本では、グループ内、そして上下関係を維持するのに、謝りが大切になってくる。日本人は、場合によって、すべての当事者全員が謝る必要はないのを理解していても、謝る時もある。アメリカ人は反面、明らかに過ちを犯した場合でも、謝りたがらない傾向がある。それは不必要であると考え、期待していないことが多く、弱さとして解釈される場合もある。そのため、アメリカ人のこの習慣に慣れていない日本人は、謝罪することでアメリカ人に逆利用されることもある。

 

 

グループ合意形成型文化と自己主張型個人主義文化

日本人は協調を好む反面、アメリカ人は競争、そして時には規則破りを好む傾向がある。80年代、アメリカへ進出した日系企業は、独占禁止法違反ということで訴訟を受けることが多々あった。ライバル企業間の協力は日本では珍しいことではないが、アメリカでは違法になる。

日本の諺に「出る杭は打たれる」がある。この伝統は社会的調和を強める反面、アメリカ人が重要視するリーダーシップや社会改造が弱まる結果になる。社会、そして組織レベルでの変化や制度改革の異なる価値観が日米の食い違いに繋がることもある。

日本では、個人は社会に貢献し、自分自身を犠牲にする。米国では、社会より個人を尊重すべき、といった考えが強い。例えば、アメリカ人は、残業を避けたがる。日本で残業を無視し仕事が残れば、職を失くすことになり兼ねない。

 

人々への率直なコメントや他の社会的価値観

「君、太ってるね〜」「おまえ、すごい顔してんな!」「アホか、てめぇー」日本では、こういったコメントを率直に言って来ることがよくある。アメリカではこれは全て礼儀に反する。アメリカ人が日本で生活すると、なんども肥満度に関するコメントを言われ、気に触ることなどは珍しくない。日本人がアメリカに行き、こういったコメントは無礼だと知らず、周りを怒らせる、といったこともよくある。日本では、こういったコメントは実は好意の表現の場合もあるが、アメリカではそうはいかない。

文化間の礼儀に関する概念の違いだけが理由ではない。上下関係や男女関係など、言語などを通して日本文化は根本的に形成されている。アメリカ社会は日本文化よりフレキシブル。まだ若く、移民の国だ。日本の文化は2000年以上遡り、移民もあまりない。文化的価値観は根強い。

 

ナショナリズムのプライド

国際関係やビジネスはナショナリズムなくては語れない。文化や歴史の解釈・価値観の違いから生じる不信や憤りは、ナショナリズムの感情を増幅させ、お互い信頼が損なわれ、憎悪が高まる。

愛国心は自分の国家に誇りを持つこと。ナショナリズムは自国が他国の全てより優れている考え。

文化的価値観の食い違いは、効果的な仲介者なくては、個人・組織レベル両方で、ナショナリズムが悪化させることもある。

「なにこの仕打ち?日本人/アメリカ人ならこんなことするわけがない!これはひどい...」

「こんなメッセージ送ってきて、ほんとアメリカ人/日本人は話が通じない!どう、こいつらと仕事しろってんだ。」

日米両方の文化の中で発生する、こういったコメントを私は何度も聞いている。立ち振舞い、思考、そして行動も両文化が異なるため、お互いの理解が損なわれると、信頼を回復するのが難しくなる。

私は日本生まれのアメリカ市民で、愛国者でもある。しかし、ナショナリストではない。日米両国に忠誠心は確かに持っている。だが、幼少の頃から世界中の市民に囲まれながら育ったため、私は客観性のある世界観を持っている。日米関係、そして世界を考えるに当たって、私はナショナリズムから発生する感情にとらわれにくい。

文化的価値観の食い違いの可能性は常に存在する。しかし、両文化の理解、そして文化の摩擦がどこから来るのかを把握すれば、両文化のコミュニケーション向上に繋がる。