Google は私と入れ替われるか?

なぜ質の高い翻訳・通訳はまれなのか?

「人間関係」を例にしてみよう。

日本語は英語と全く同じ言い方をする。日本語を英語に直訳すると、人間はヒューマン、関係はリレイションシップとなる。

なるほど。このフレーズは簡単に訳せる、と思うだろう?

しかし、以外と難しい。

英語で「ヒューマンリレイションシップ」はプラスの意味。友情、恋愛、家庭...生きがいのある人生を生み出すものが含まれている。

日本語で「人間関係」はネガティブなニュアンス。職場での揉め事、ゴシップ、裏切られた友情...人生に挑むようなものが要求される。

「職場での人間関係」を英訳するとニュアンスがネガティヴからプラスへ変わる。

これは単なる一例だ。直訳は言葉の意味を失わせる結果に繋がることが多い。有能な翻訳者・通訳者は環境ごとに使用される言語とその言葉の内に秘められているニュアンスを把握している必要がある。

翻訳は、言語間で書かれたテキストを変換するプロセスだ。

質の高い翻訳者は、言葉のみ訳すだけではなく、文章の本質を見抜き、ターゲットとなる言語に独自の書き方で再表現する。世界有数のトップ翻訳家の作品を読んだ時は、あまりにも創造的で文章がオリジナルからかけ離れているように見える。だからこそ世界有数のトップと認められるのである。

翻訳家はもうすでに訳された作品を訳したがる。例えば、源氏物語の翻訳作品は複数ある。元の作品の質が高ければ高いほど、翻訳しがいがあり、訳す方法が幾つもあるからだ。

翻訳は、時間をかけて、言葉の意味を試行錯誤しながら仕事に取りかかれる利点がある。(厳しい締め切りに直面していない限り!)

通訳はそうはいかない。通訳(口頭翻訳)は仕事内容が根本的に違う。秒単位以下の時間で、適切に表現される意味を判断しなければならない。

ブロの通訳者は、そのクライアントの権力、評判、財産、さらに命までも任される場合がある。法廷での解釈、病院で医療専門家のために、2つのビジネス間の交渉の場で。間違った通訳は、商談をダメにするどころか、人の命に関わる時もある。

ビジネス交渉中に誤って10万ドルを10万円と解釈した場合、どうなるだろうか? 10万円は約1000ドルになる。

病院で、強い副作用がある薬の投薬量を誤訳すると、どうなるだろうか。

これは、ほんの1例に過ぎない。

通訳者は集中力も要求される。ややこしい技術的専門用語の波に埋もれ、会話が遅れたり、クライアントが対立的で、感情的になる場合もある。その中、通訳者は中間的存在だということを忘れずに、その場に居合わせる人の発言を、落ち着いて、全て正確に訳すことが要求される。

優れた翻訳者・通訳者は、言語の文化的背景も知っていなければならない。文化の違いが言語に反映されることはよくある。直訳しようとすると、意味のない文章が出来上がってしまう。優れた翻訳者・通訳者は言語の違いだけでなく、文化的価値観の違いも訳すことが要求される。「俺は子供の頃のび太のようなキャラだったんだ」を直訳したら英語圏の人間ほとんどはその意味を理解できないだろう。

Google は異なる2つの言語と文化の中を21年同時に育った人間の能力を置き換えられるソフトウェアを開発できるだろうか。今の所はまだのようだ。人工知能テクノロジーで、もしかしたら?