沈黙、ユーモア、俗語

日米間でよく見られる誤ったコミュニケーションの落とし穴について書いてみた。

まだまだ書き足りない。誤ったコミュニケーション以外に、コミュニケーションのモードの違いもある。

今回のブログ記事は、次の三つについて書いてみた。沈黙、ユーモア、そして俗語。しかし、実際のところ、日米間コミュニケーションの違いについては、簡単には語り切れず、本を書く必要があるほどだ。

 

沈黙

日本では、沈黙は許される。

日本のテレビドラマや映画で、夫婦間の愛情を表現するとき(特に結婚生活が何年も続いている場合)、二人は沈黙を保つシーンがよく見られる。

何時間も。

こういった場面は現実でも見られる。日本では、愛情は空気で感じるものだ。アメリカは反面、言葉で表現する必要がある。

国際結婚では、この表現方法の違いが問題になることもある。

 

日本人奥さん:「ただいまー。」

アメリカ人旦那さん:「おかえりー。今日仕事うまくいった?」

奥さん:何も言わず、静かに別の部屋へ入る。

旦那さん:「ああ...」

 

会話のない夫婦はアメリカでは険悪な仲ということになるが、日本は必ずしも、そうとは限らない。日本では愛情は空気のように、肌で感じるもの、口に出してあえて言わない。

アメリカでは家庭内でよくお互いに「愛してる」と言い合う。日本では奇妙なものと考えられ、あまり言わない。

アメリカへ来た当初、私は会話中沈黙を保つことがよくあった。アメリカ人の多くは驚いた。アメリカでは健全なコミュニケーションを保つため、会話は続ける必要がある。

アメリカ生活18年目の今でも、アメリカ人のグループで、皆が積極的に会話する中、私は沈黙を保つ時もたまにある。会話に加われないわけではないのだが、日本育ちのためだろう。無駄話や不必要なジョークを私は好まない傾向がある。

しかし、日本人は無駄話に我をなくす場合も確かにある。そこて、次のトピック:

 

ユーモア

日本人にユーモアのセンスはあるのだろうか?イエス。アメリカ人は日本人は堅い、ユーモアに欠ける民族と考えるのは珍しくない。日本が豊かなユーモアの歴史・文化を持っていることを理解していないからだ。

アメリカではユーモアは水のようだ。あらゆる機会にユーモアを出して、文化的に多く飲むことが期待されている。

日本のユーモアはアルコール。面接で酒を飲むと、仕事を得られないかもしれない。米国では、面接中にユーモアセンスを披露すれば、候補者の自信と才能の現れとして積極的に解釈されるかもしれない。他に、親が子供の先生に会う時、少々のユーモアを出す事が起こるだろう。親と先生、冗談をお互いに言うかもしれない。仕事後の飲み会は、このユーモアを含んだ酒を多く飲み、「酔っぱらい」になる。

ユーモアの話題も違ってくる。欧米は根強いユダヤ・キリスト教の伝統がある。例えば、アメリカのコメディアンは、コメディークラブで、敏感な問題、トピック、言葉をよくジョークのネタにする。

日本では、芸能人は話の流れで現れてくるユーモアを指摘して、自己嘲笑的なジョークで笑いに繋げるのを好む。

私は人を笑わせるのは得意だ。私が育った関西人のノリで。

私は自称アメリカ関西人。アメリカでの生活に慣れる中、周りの人は「あなたは変わっているが、面白いことを言って、人を笑わせることができる」とよく言われた。

私のユーモアセンスは関西育ちに影響されている。では、この関西ユーモアに俗語を加えるのは?

  

俗語

日本では俗語が本当にない。

何?!

アメリカ人は、日本では俗語が重要視されてないと知ると、必ず驚く。

アメリカ人は俗語を好む。

日本には欧米のユダヤ・キリスト教の厳しい規則がない。アメリカなどで、俗語は排便、性行為、近親相姦、神にとって罪となるものがそうなる。

日本人にとってこう言った言葉はそれほどインパクトはなく、気にしない。

日本では声のトーンだ。どの言葉を言うではなく、それをどのように言うかで、支配力、敵意、侵略を相手に伝える。一見落ち着いてる日本人が、怒らせたら、敵意を声のトーンで感情をこめて表す。

私と一緒に日本に行きたい人は、しばらくジョークを話さずに静かに座って、突然感情的に爆発することが起こるかもしれないが。

アメリカでは極端な感情の切り替えは、頭がおかしい、狂っていることの兆候になるが、日本では起こり得る。