日米マネージャー体験談

「読売新聞に世界を」を書いたばかりだが、実際のところ、私は国連では職業人ではなかった、と自分自身を鑑みている。確かに競争はあった。成功するのには難しい環境だった。だが、私は国連、そして読売新聞という大組織に守られ、温室の中で働いていた。ある意味、2年間にも及ぶインターンシップだった、と考えている。

ニューヨークで職業人として初めて私を成長させてくれたのは、次に入社した、マンハッタンにオフィスを持つフレスコ・インターナショナル社(以後フレスコ社)での体験だった。

2015年6月、マネージャーとして、航空自衛隊が主な取引先の、東京に本社を持つ貿易会社、STD社のニューヨーク支社に入社した。仕事量は国連で私が直面したのを圧倒していた。勤務は真夜中まで続き、週末も頻繁に出社した。「ネットワーキング」だという名目で、毎日外交官とコーヒーブレイク、そしてパーティーや飲み会などが頻繁だった国連とは違う仕事内容と環境だった。

フレスコ社で完璧なバイリンガルのアメリカ人社員は私一人。日本人に囲まれながら仕事に専念した。貴重な経験を幾つも得た。また、私が生涯初めてマネージャーとして勤務した半年でもあった。

マシュー・エドウィン・インターナショナルを設立したのは、日米関係に貢献したいという強い思いからである。それは小学生の時からの夢であり、今まで学生を経て、社会人として頑張ってきたのは、それを実現させる為だった。フレスコ社で、日米関係が具体的にどう働くのか、自分の目で見、そのプロセスに加わり、貢献もできた。

具体的な話をしよう。

フレスコ社は、日本のSTD社のため、米国内の軍事部品製造会社から自衛隊が必要とする部品を入手するのが主な仕事で、製造会社に加え、米国務省、日米税関、そして何カ国かの輸送会社と関わっていた。マネージャーとして、私はこういった幾つにも及ぶ団体の間に立ち、情報、資金、そして輸送品がスムーズに進むように働きかけ、問題が出てくれば、交渉し、対応していった。また、耐えず、新しい製造会社と関係を築く為の交渉を続けるのも仕事の1つだった。

入社してすぐ、JFK空港の輸送会社から連絡が入った。高額な輸送品の出荷許可が税関から下りない。東京行きの輸送が滞っていた。自衛隊は、「この輸送品が1週間以内に届かなければ、支払いはしない」といって来た。そうなれば、フレスコ社にとっては大損害だ。

事務所からの電話連絡だけでは状況がうまく把握できず、電話の交渉では話も進まない。時間も無い。解決のため、私1人で現地に向かい交渉することになった。

空港へ到着した私は、関わっている輸送会社と税関の担当者に会いに行った。米輸送会社代表は、日系企業から日本語が流暢なアメリカ人が来たことで、意外だというリアクションは隠さなかったが、同時に、英語で話を進めることができ、安心もしたようだった。税関官僚は、官僚らしく、無表情。結果として、私は本社と連絡を保ちながら輸送会社と税関を行き来し、問題の実態を把握できた。

問題は、税関へ提出すべき書面が正しくないことが判明した。米輸送会社担当者の説明を受け、書面を書き直した。その後、税関が承認して解決した。輸送品は自衛隊へ時間内に届くことができた。

業界にいれば、誰にでもできそう、と思うかもしれない。が、意外と難しい。

時間が限られていた。その短い時間内に、日米文化と言語の壁から生じるコミュニケーションが具体的にどこで、どうやって食い違っているのかを把握する必要がある。話し合いと交渉を続け、問題点をうまく解決していく。そして、米会社と政府機関が満足できる書面を作り、書面を税関が承認した後、出荷品がきちんと日本へ輸送されたことを確認。この間、米団体との英語でのやり取りを、正しく日本語で同僚と親会社の社員へ報告。日本から情報も、米国側へ正確に伝える。

具体例はまだある。前任のマネージャーが国務省からの指示を理解できず、その結果、高価な部品が出荷できず倉庫止まりになって、2年近く経っていた。国務省との交渉も話が食い違い、進まない。

この案件を解決すべく、フレスコ社と国務省のメールの履歴2年分を読み返した。フレスコ社の日本人社員が書く英文は、ネイティヴレベルではないので、国務省官僚には分かり辛いと思えた。私は直接、国務省に電話、交渉し、先方の指示を仰いだ。国務省からの説明と指示をフレスコ社とSTD社社員に日本語で説明。結果、2年間倉庫止まりだった高額な輸送品の出荷に成功した。

日常的な業務にも貢献した。フレスコ社・STD社社員の間に立ち、コミュニケーションが滞った時だけでなく、問題が起きないよう、たえず注意していた。文法の訂正から英語で直接電話して、欧米会社と政府機関などに、日本側を代表して交渉した。何社にも及ぶコミュニケーション、出荷品、そして資金の流れがきちんと進むよう、自分のバイカルチャー・スキルを活かして、働いた。

フレスコ社は半年で退社した。理由は主に、健康保険に関連するものだが、貴重な半年だった。初めて、自分のバイリンガル、バイカルチャー・スキルを積極的に活用した職場だった。日米関係が、どう働いているのか、現地レベル、そしてビジネスレベルで、生で経験できた。

これからのキャリア、私がこの商社に貢献できたよう、多彩な団体や人たちに貢献するのが私の望みである。